「赤ヘル軍団」カープ初優勝
 
街頭募金など市民の必死の努力
 原爆投下から5年後の1950年、市民球団として生まれた広島カープ。当時は連盟への加入金、分担金未納、給料未払いなどで加盟権取消の危機にあったが、街頭募金など市民の必死の努力で球団は存続。しかし、50、60年代は「お荷物球団」と言われ、初めてAクラスとなったのは68年のことだった。

悲願のリーグ優勝
 その広島が一変したのは75年。ジョー・ルーツ監督を迎え、燃える赤を帽子に取り入れ、開幕を迎えた。ルーツ監督は4月27日の阪神戦のボールの判定を巡り暴行、退場処分となり退団したのだが、そのあとを受け継いだ古葉竹識監督が「赤ヘル旋風」を巻き起こした。
 前半は3位で折り返し、オールスター第1戦では山本浩二、衣笠祥雄が本塁打を連発。「赤ヘル」の名を全国に知らしめると、後半8月7日に首位に。この頃からナインが「優勝」を意識し戦い始めた。阪神、中日との三つ巴のペナントレースとなったが、その熾烈な戦いを勝ち抜き、10月15日17時58分、後楽園球場で巨人を破り、悲願のリーグ優勝を飾った。
 その後、「赤ヘル」は常に優勝を争えるチームとなっていった。

写真提供:ベースボールマガジン社



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