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[朝日新聞] 安藤 嘉浩 氏
【1】2006年3月18日 日本-韓国 (PETCO Park)WBC準決勝
【理由】第1回WBC準決勝。そこまで2戦2敗の韓国に6-0で雪辱した。6回までは0-0。7回、不振で先発を外れていた福留を王監督が代打で起用。その2ランで均衡を破り、韓国を振り切った。韓国は日本に2連勝した試合後、マウンドに太極旗を立てるなど、両国のライバル意識は高かった。イチローの一連の発言も物議をかもすなど、注目を浴びた一戦だった。 このライバル対決を制した王ジャパンは一気に第1回王者に上り詰めた。一方で、王監督がその後体調を崩すなど、国際大会の厳しさを知った大会でもあった。
【2】2002年10月26日 読売-西武 (東京ドーム)日本シリーズ第1戦
3回に4点を先行した巨人が4-1で快勝した日本シリーズ第1戦。その3回の3、4点目が清原の2ランだった。西武・松坂の145㎞の直球を完璧にとらえた打球は、東京ドーム左翼席上部にある看板のさらに上を直撃した。
【理由】読売・清原が西武・松坂から放った特大ホームランで、第1戦の勝敗はおろか、シリーズの流れまで決まってしまった。いろいろな因縁がある2人。ともにけがに苦しんだシーズンで、ようやく戦列に復帰して臨んだ日本シリーズだった。久々の黄金カードは実際、この一発で主導権を握った読売が、4連勝で一気に決着を付けた。
[朝日新聞] 稲崎 航一 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】WBC日本2連覇。苦しんだイチローの適時打で決めた。2次ラウンドで日本を救った岩隈の好投も合わせて、国民に感動を与えた
【2】2003年9月15日 阪神-広島東洋 (甲子園)
阪神18年ぶりのリーグ優勝。サヨナラヒットの赤星を抱きしめ、胴上げされた星野監督
【理由】ダメ虎を2年で建て直し、今の強い阪神の礎を築いた星野監督の手腕に敬意を表して
[朝日新聞] 笠井 正基 氏
【1】2008年11月9日 読売-埼玉西武 (東京ドーム)日本シリーズ第7戦
【理由】日本シリ-ズ第7戦。日本一が決まる試合で、1点差の8回無死一塁、初球から盗塁を仕掛けた片岡の勇気。最後は三ゴロでギャンブルスタートして本塁へかえり、日本一への扉をこじ開けた。読売の守備力を、一年間鍛え上げた走力と勇気で打開したから。
【2】2006年10月12日 北海道日本ハム-福岡ソフトバンク (札幌ドーム)プレーオフ第2ステージ第2戦
サヨナラ負けで敗退。マウンド上で崩れ落ち、チームメートに抱きかかえられベンチへ戻る斉藤和投手
【理由】プレ-オフ第2ステ-ジ第2戦。斉藤和は8回まで二塁を踏ませなかったが、9回の先頭に出したストレート四球が0-1のサヨナラ負けにつながった。一つの四球が勝負を分け、リーグ優勝を逃した。泣き崩れ、立ち上がれない斉藤和が、その勝負の非常さを象徴していたから
[朝日新聞] 篠原 大輔 氏
【1】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
【理由】阪神のバース、掛布、岡田の3連発。あの冷静なバースが珍しくガッツポーズをしたのが印象深い。あれから25年、幾度となくテレビなどで採り上げられており、「バックスクリーン3連発」のひとことで、日本の野球ファンはあの連続シーンを脳裏に共有できる。
【2】1981年9月16日 阪急-ロッテ (西宮)
山森外野手が弘田選手の左翼後方への大飛球をフェンスに登って捕球したスーパープレー
【理由】私は当時、「阪急こども会」というファンクラブに入っており、この試合も西宮球場で観戦していた。ススッとフェンスによじ登り、差し出したグラブの先にボールが収まった瞬間の興奮を忘れない。これ以上に芸術的なプレーは、その後起こっていないと思う。
[朝日新聞] 渋谷 正章 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】語り継がれる「10・8」。読売はそれまで天敵だった今中を落合の一発などで攻略。槙原-斎藤-桑田の豪華リレーで逃げ切り、伝統の力を改めて示した。中日も立浪が一塁へヘッドスライディングし、肩を脱臼するなど、勝負を捨てない凄まじい執念を見せた。勝った方が優勝という試合は過去にもあるが、試合内容や、試合後の両チームのすがすがしい態度は、プロ野球最高の試合に値する。
【2】1974年10月14日 読売-中日 (後楽園)
読売・長嶋茂雄引退
【理由】「ミスター」の引退試合。仕事をさぼり、球場に駆けつけたサラリーマンなどで満員になった後楽園で、背番号3は涙し、別れを告げた。プロ野球の一時代の終わりにとどまらず、高度成長で突っ走ってきた戦後日本が曲がり角を迎えたことを暗示するセレモニーだった。
[朝日新聞] 西村 欣也 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】最終戦まで優勝がもつれ、勝った方が優勝という試合は、長嶋監督が言ったまさに「国民的行事」だった。今のCS戦では味わえない緊迫感は、野球ファンに最高のスリルを与えた。
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
日本シリーズ第7戦の江夏の21球。
【理由】無死満塁からスクイズをカーブの握りのまま外し、ピンチを脱した江夏。後に山際淳司の「江夏の21球」で書かれ、大きな反響を呼んだが、野球のストーリー性を喚起する最高の名シーンだったと思う。
[朝日新聞] 福角 元伸 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】偶然性とドラマ性が、最高の試合を作り上げた名勝負。プロ野球であって、高校野球のような1戦必勝の戦いが要求された。それぞれのチームに、タレント選手がそろっていた。球史に残すべき試合。
【2】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
連覇という形で、WBCの歴史に名を刻んだ、日本代表選手の偉業。ドジャースタジアムで花吹雪の中、イチロー、松坂、小笠原など日本を代表するメジャー、プロ野球選手が、一堂に会したシーン。
【理由】一戦勝負の野球の難しさの中で、2度の優勝を決めた偉業は大きい。キューバ、アメリカを堂々と撃破し、韓国と連戦でしのぎを削りながら、最後は勝利した日本代表の偉業は称えられるべき。
[朝日新聞] 松元 章 氏
【1】2001年9月26日 大阪近鉄-オリックス (大阪ドーム)
【理由】代打の北川が逆転サヨナラ満塁弾でリーグ優勝を決めた試合。目の前で見ていて、全く予想できなかった結末だった。今後も「優勝を決める代打逆転サヨナラ満塁本塁打」にはお目にかかれないのではないか。
【2】2006年10月12日 北海道日本ハム-福岡ソフトバンク (札幌ドーム)プレーオフ第2ステージ第2戦
0-0の9回裏、サヨナラ打を打たれたソフトバンクの斉藤和己がマウンドで崩れ落ちたシーン
【理由】二人の外国人選手に抱えられて号泣しながらベンチへ戻る姿がプロ野球では衝撃的だった。投手4冠エースのこの試合にかけた思いを感じた。
[朝日新聞] 山田 佳毅 氏
【1】2001年9月26日 大阪近鉄-オリックス (大阪ドーム)
【理由】代打逆転サヨナラ満塁本塁打、さらに、この一打で優勝決定。こんな劇的なシーズンの幕切れは、今後100年間はないでしょう。
【2】1977年9月3日 読売-ヤクルト (後楽園)
王貞治、756号ホームラン
【理由】ふだんガッツポーズをしない王が、打った瞬間、控えめに両手を挙げる。はにかんだ笑顔。不朽の名シーン。
[朝日新聞] 吉村 良二 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】(現場で取材した試合の中で)試合前の異様な雰囲気・盛り上がりという点で最も印象に残る。試合前の練習時から、選手だけでなく観客や報道陣にも緊張感が漂っていた。そんな中、読売・長嶋監督だけは興奮気味にとても楽しそうな表情をみせていて、すごいと思った。
【2】1999年5月16日 西武-オリックス (西武ドーム)
イチロー対松坂
【理由】(現場で取材した中では)当時すでに日本国内ではライバル不在となっていたオリックス・イチローと、西武に入団1年目・松坂の初対戦に強い衝撃を受けた。18歳のルーキーがイチローから3打席連続で三振を奪うとは、驚きだった。松坂の「自信が確信に変わりました」という粋なコメントも、印象に残った。イチローは同年7月6日、その松坂から狙って通算100号本塁打を放って「リベンジ」した。2人は舞台を大リーグに移し、今も勝負を続けている。
[朝日新聞] 庄司 信明 氏
【1】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
【理由】日本シリーズ第7戦、勝った方が日本一という場面も最高なら、広島1点リードで迎えた9回という状況だけで、もうしびれる。江夏の21球で語りつがれる物語はスクイズ外しのシーンが強調されるが、無死満塁で無失点に抑えた江夏はやはり人間離れした度胸を持った投手であったことを痛感させられる。生では見ていないが、プロ野球史上最高の試合のひとつだったように思う
【2】1993年5月3日 西武-千葉ロッテ (西武)
清原と伊良部の対決
【理由】野球の原点である投手はただ投げる、打者はフルスイングをする、その象徴的なシーンだった。伊良部はストレートしか投げない。清原もそれを待っているだけ。真の力と力の対決というものを初めて見た
[河北新報] 関 俊哉 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】最後のダブルヘッダーで優勝が決まるという劇的な巡り合わせ。時間制限に阻まれた近鉄の悲劇は球史に残るにふさわしいだろう
【2】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
バース、掛布、岡田の阪神3選手によるバックスクリーン3連発
【理由】当時を代表する打者が時代を代表する打撃を見せた。知らない人はほとんどいないシーンだろう
[河北新報] 高橋 俊也 氏
【1】1971年10月15日 読売-阪急 (後楽園)日本シリーズ第3戦
【理由】日本シリ-ズ第3戦。王貞治選手の逆転サヨナラ本塁打と落胆する山田久志投手。テレビ越しに見た勝者と敗者のコントラストが鮮烈に残った。
【2】2005年4月1日 東北楽天-西武 (フルキャスト)
礒部公一外野手の先頭打者本塁打
【理由】新規参入した東北楽天の本拠地初戦。前年の騒動の「主役」の一人だった礒部の初安打がチーム第1号となった。気温2度という肌寒い春の夜、球場に駆けつけたファンが、東北にプロ野球チームが生まれたことを実感できた場面だったと思う。
[河北新報] 中村 紳哉 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】公式戦最終戦でリーグ優勝がかかる試合。読売の長嶋監督が「国民的行事」と称し、両チームのファンのみならず、日本国民が注目したゲームだったから
【2】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
バックスクリーン3連発
【理由】七回裏、2点差のビハインドでバースが逆転3ラン、掛布、岡田もソロで続いた。クリーンアップが、同じ方向へ打ち返したアーチは衝撃的だった。
[河北新報] 村上 朋弘 氏
【1】1993年6月9日 読売-ヤクルト (金沢)
【理由】伊藤智仁投手が天国と地獄を味わった試合。一球の怖さを思い知らされる
【2】1986年9月24日 読売-広島東洋 (後楽園)
津田恒実投手の直球をファウルした原辰徳選手が骨折したシーン
【理由】力と力、魂と魂がぶつかり合う迫力があった
[河北新報] 山並 太郎 氏
【1】2005年3月26日 千葉ロッテ-東北楽天 (千葉マリン)
【理由】東北地方に誕生した初のプロ野球チームの初陣。東北のスポーツ史に新たな1ページを刻んだ。翌日、0-26で大敗したのも忘れられない。
【2】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
バース、掛布、岡田の阪神3選手によるバックスクリーン3連発
【理由】伝統の一戦で出た3連発で甲子園が揺れた。あの日から1年間、阪神がスポーツに限らず、常に話題の中心となった。
[共同通信] 石原 秀知 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】まだ高校生だった頃に、夢中になって見ました。記者になった後も生前の仰木彬氏から「あれがあったから翌年、優勝できた」と思い出話を聞いたことも含めて、最も印象に残っています。
【2】1996年9月23日 オリックス-日本ハム (神戸)
延長10回、イチローの二塁打でサヨナラ勝ちして本拠地でリーグ優勝を決めた。イチローが二塁ベースを回ったところで、地元ファンが詰め掛けた右翼席に振り向き直し、両手を挙げて何度も飛び跳ねた場面。
【理由】球場全体が一体となり、「がんばろう神戸」のフレーズが完結した瞬間だったと思う。
[共同通信] 神田 洋 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】勝負師、長嶋茂雄の本領。勝利を信じた巨人の選手が大一番で投打に力を出し切った。
【2】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー第2試合
勝利がなくなり、ぼう然と十回裏の守備に就く近鉄。
【理由】歴史的ダブルヘッダーを通じ、あきらめない強さが見る者に伝わった。全力を出し切った選手の姿が、引き分けという野球にあってはならないローカルルールの醜さを際立たせた試合でもあった。プロ野球の世界にあってはならないシーズンの幕切れだった。
[共同通信] 橘高 秀実 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】ダブルヘッダー第2試合で勝てば優勝の近鉄が、若きエース阿波野をマウンドに送ったが、ロッテ高沢に同点弾を浴び、引き分けで惜しくも2位に終わるという、まさに劇的な一戦だった
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
江夏の21球
【理由】日本シリーズの第7戦の土壇場の九回で、無死満塁から左腕にもかかわらずスクイズを察知するなど無失点で切り抜けて広島に初優勝をもたらしたのは、今後も長く語り継がれるシーン
[産経新聞] 浅野 英介 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】読売と中日が史上初の同率での最終戦直接決戦となった試合。斎藤、槙原、桑田の継投に見応えがあった。
【2】1990年9月8日 読売-ヤクルト (東京ドーム)
吉村禎章選手のサヨナラ本塁打でセ・リーグ優勝が決定
【理由】左足じん帯断裂の大けがからカムバックし、優勝決定の大舞台で本塁打を放ったことに大きな感動を覚えた。
[産経新聞] 奥山 次郎 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】ロッテ対近鉄のダブルヘッダー。理由優勝争いが時間に左右される異例の事態にテレビに釘付けになったから
【2】1989年10月12日 西武-近鉄 (西武)ダブルヘッダー
ブライアントの4連発
【理由】前年の無念のV逸をした近鉄に優勝をもたらす強烈なインパクトがあった
[産経新聞] 神田 さやか 氏
【1】2005年10月17日 福岡ソフトバンク-千葉ロッテ (ヤフードーム)
【理由】ロッテのリーグ優勝決定試合 理由当時千葉総局勤務で、パブリックビューイングで千葉市民を取材していたから。
【2】1993年10月27日 ヤクルト-西武 (神宮)日本シリーズ第4戦
ヤクルトの飯田外野手が中前打を捕球し、本塁で刺殺したプレー
【理由】シリーズの流れをつかんだプレーだった
[産経新聞] 佐藤 正広 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】最終戦同率首位決戦。見ている方もしびれました。試合前日の練習で、読売に移籍1年目の落合が、計ったようにフェンスをぎりぎりに越える打球を打ち続けていたのをよく覚えています。試合では第1打席にホームラン。この人は本物のプロだ、とその凄みにしばらく言葉が出ませんでした。槙原、斎藤雅、桑田による3本柱のリレー、松井秀の送りバントと本塁打、長嶋監督の躍動感あふれる胴上げ。語り継がれる名シーンが詰まったすごい試合でした。
【2】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
延長10回に出たイチローの中前勝ち越し打
【理由】読売と阪神が最も激しく争っていた時代を代表する試合とシーン。「巨人の星」で大リーグボール1号が打たれた試合でもある。
[産経新聞] 田中 充 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】WBC2連覇 理由日本代表に同行取材し、日本の野球の底力を目の当たりにできたから
【2】1999年5月16日 西武-オリックス (西武ドーム)
松坂対イチローの初対決
【理由】試合後の松坂投手のコメント「自信が確信に変わった」が今も印象に残る
[産経新聞] 山根 俊明 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】野球記者として数多くの試合を取材したが、これほど殺気だった試合はなかった。特に読売・落合、中日・立浪の負傷退場には鳥肌が立った。
【2】1968年9月18日 阪神-読売 (甲子園)
荒川コーチとバッキーの乱闘後、王が頭部死球を受け、直後に長嶋が仇討ちの3ラン。
【理由】読売と阪神が最も激しく争っていた時代を代表する試合とシーン。「巨人の星」で大リーグボール1号が打たれた試合でもある。
[サンケイスポーツ] 伊藤 英慈 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】WBC2連覇。日本がイチローの決勝打で快勝。改めてJAPANを世界に知らしめた
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
江夏の21球
【理由】日本シリーズ第7戦。いつまでも語り継がれるこのフレーズ。投手心理に奥深さを感じる
[サンケイスポーツ] 加藤 俊一郎 氏
【1】1989年10月12日 西武-近鉄 (西武)
【理由】ブライアントの4連発。そこで見せた最高のパフォーマンスだった。1勝すれば優勝なのになすすべなく打たれた西武の投手陣のあっけに取られる姿が印象的。前年10・19で敗れた近鉄の執念が、ブライアントの打席に象徴されていた。5打席連発がかかった打席では、球場全体から拍手が起こって、私は西武の優勝をあきらめた。平日のダブルヘッダーなのに超満員、学生だった私はなけなしの小遣いで売り切れ寸前の指定席を買った。第2試合の前には弁当どころか食べ物すべて売り切れていた。
【2】1974年10月14日 読売-中日 (後楽園)
長嶋茂雄の引退セレモニー
【理由】子ども心に「何か大変なことが起きているんだな」と思ったものだ。100年先まで残る名言が生まれる瞬間など、球史を見渡しても、このセレモニー以外にないのではないか。
[サンケイスポーツ] 清水 泰史 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】川崎球場が燃えた日。敗者がこれほどクローズアップされた試合はない
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
江夏の21球
【理由】古き良き時代の名勝負。息詰まるとはこのこと
[サンケイスポーツ] 吉松 祐 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】球史に残る一日。パ・リーグが日本列島の視線を独占した
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
江夏の21球
【理由】江夏のためにあったような試合。このフレーズが好きだ
[時事通信] 安東 茂光 氏
【1】1976年11月2日 読売-阪急 (後楽園)日本シリーズ第7戦
【理由】阪急・足立光宏投手の冷静沈着な投球がいまも心に残る。日本シリーズで3連勝後に3連敗。崖っ淵に立たされた試合で、敢然と読売の前に立ちふさがり息の根を止めた。満員の観衆、その声援のほぼすべては長嶋読売へ、罵声はマウンドの自分に向けられた。足立はそれをはねのけた。「もっと騒げ」「もっとわめけ」と念じながら。スコア4-2、5安打完投。並の精神力の持ち主ではない。
【2】1971年7月17日 (西宮)オールスター第1戦
江夏豊投手の9連続三振奪取
【理由】 有藤、基、長池、江藤、土井、東田、阪本、岡村、そして加藤秀。当時のそうそうたる全パ打線を、みな三振に切って取った。剛腕と言われた投手だが、この試合はとりわけ球が速く感じられた。加藤秀の打席では、胸躍り、目を見張り、快哉を叫んだ。球史に名を残したこの人にとっても、一世一代の晴れ舞台ではなかったか。
[時事通信] 小島 輝久 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】日本プロ野球が「最高」であることを証明した瞬間。感動的な連覇で、世界に強烈にアピールした。
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
江夏の21球
【理由】駆け引きの醍醐味とプロのすごみを味わった試合だったから
[時事通信] 新美 宜典 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】近鉄の勝利への執念をほとばしらせた死に物狂いの戦い、時間切れ引き分けという理不尽な結末。涙で球場をあとにする選手たちの姿にもらい泣きした。感情を激しく揺さぶられた忘れられないダブルヘッダー。
【2】1989年10月12日 西武-近鉄 (西武)ダブルヘッダー
ブライアントの「奇跡の4連発」
【理由】前年の「10・19」から始まった、近鉄の壮大な雪辱ドラマのクライマックス。ブライアントの4本のうち1本でも欠けていたら、近鉄の優勝はなかったのではないか。テレビに大映しされた、渡辺久信投手のぼう然とした顔が今でも思い出される。
[時事通信] 園部 和弘 氏
【1】1971年10月15日 読売-阪急 (後楽園)日本シリーズ第3戦
【理由】緊迫した日本シリーズ第3戦。阪急1点リードの九回裏2死一、三塁から王貞治が山田久志からサヨナラ3ランを放った。「1球の怖さ」を強烈に印象付けた試合で、流れをつかんだ読売が2勝1敗とし、そのまま3連勝の4勝1敗でV7を遂げた。
【2】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
WBC決勝延長10回イチローのサヨナラ打。
【理由】連覇の重圧を背負ったイチローが最後の最後に結果をもたらしたから
[時事通信] 谷川 俊規 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー第2試合
【理由】阪急の身売りも発表となった日で「日にち」的にも忘れられない日。ダブルヘッダー第2試合、優勝がないと分かっても、守らなければいけなかった近鉄ナインの思い。翌年に西武、オリックスを振り切って優勝の形で結実したことでも思い出深いです。
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
日本シリーズ第7戦。1点を追う9回裏、近鉄の無死満塁を無失点に抑えた江夏投手と近鉄打線の戦い
【理由】この試合を元にした、山際淳司さんのノンフィクションがなければ、今の仕事に私が就いていたか、どうか。加えて、近鉄の熱烈なファンだった高校生の私に、西本監督の無念さも合わせ、勝負の厳しさを改めて教えてくれたシーンでもあった。
[時事通信] 橋本 誠 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】執念、意地、歓喜、悲劇…。第1試合を含め、優勝が懸かった試合で、これ以上ドラマティックな展開はないだろう。近鉄は、2試合とも時間制限などのルールとも戦わなくてはならなかった。その状況下で2試合とも大接戦。ロッテも小川の好投、高沢の本塁打など随所に意地を見せた。議論を呼んだ有藤監督の抗議も。優勝がなくなった状況で最後の守備に就いた近鉄ナインの姿も目に焼き付いている。舞台が川崎球場であり、それが予想外の満員になったのも、ドラマ性を高める要因になった。
【2】1977年9月3日 読売-ヤクルト (後楽園)
王選手の756号本塁打
【理由】今になってみれば、大リーグの記録と日本の記録を単純比較してどれだけの意味があるかという思いは確かにある。しかし、当時高校生だった私にとってはあまりに思い出深く、あまりに感激的なシーンだった。連日、テレビ中継が始まるまで、ラジオを聴いてその瞬間を待ちわびていた。よき時代であった。
[時事通信] 若林 哲治 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】ダブルヘッダ-。連勝なら優勝、1試合でも引き分けか負けなら優勝できない近鉄。第1試合は9回同点なら引き分けの規則の中で、9回表に勝ち越し点を奪い、その裏満塁のピンチをしのいで第2試合に望みをつないだ。9回表、2死二塁から梨田の安打で二塁走者鈴木が間一髪本塁を陥れ、中西コーチと抱き合って倒れこんだ場面では記者席で立ち上がり、鳥肌が立った。第2試合では忘れられない場面がたくさんあるが、優勝の可能性が事実上消えた後も10回裏を守り切った近鉄ナインの心中を思うと今も胸が痛む。吹石、真喜志の本塁打など脇役も活躍した。2試合を通じ、ロッテにも再三の好プレーがあって、その意味でも、実際に取材した中では最高の試合
【2】1988年10月15日 南海-近鉄 (大阪)
南海ホークス本拠地最終試合。試合後のセレモニーでメンバーを読み上げるウグイス嬢の涙声と、杉浦監督の「(福岡へ)行ってまいります」のあいさつが忘れられない
【理由】プロ野球史の中で一つの時代が終わった日だった
[時事通信] 安田 清光 氏
【1】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
【理由】絶対絶命のピンチを切り抜けた江夏の21球。江夏の21球。1点を争う最終線でのスクイズを外した場面。わざと外したのか、偶然高めに外れたのか。自分の中では偶然ではないかと今でも思っている。
【2】1977年9月3日 読売-ヤクルト (後楽園)
王選手の756号
【理由】ついに出た世界新記録。連日世界記録誕生を追いかける中、鈴木投手から打った一発。両手を広げてグラウンドを回る王選手の姿が脳裏から離れない。また、海外旅行をプレゼントされた同投手が、当然のように辞退したことも同時に思い出される。
[時事通信] 小松 泰樹 氏
【1】1996年5月17日 千葉ロッテ-日本ハム (千葉マリン)
【理由】結果は0―0で延長十二回引き分け。双方のエース、伊良部と西崎の息詰まる投手戦。延長後は、ロッテは成本、日本ハムは島崎が救援し、最後まで両軍譲らなかった。全盛期で豪速球がうなった伊良部、ピークは過ぎていたかもしれないが円熟の投球で抑えた西崎。千葉マリンのネット記者席はグラウンドレベルだから、両投手の気迫が伝わってきた。シーズン序盤で優勝に左右するなどの試合ではないが、文字通り手に汗を握りながら見ていた気がする。「これぞプロのエース同士」と。
【2】1999年4月7日 日本ハム-西武 (東京ドーム)
西武の新人・松坂のデビュー戦、一回2死後に片岡から155キロで空振り三振を取ったシーン
【理由】あれを見た記者もファンも、想像できなかったシーンだったのではないか。追い込んでから、あの1球。言葉が汚くて恐縮だが、高めに来たボール球、完全な「くそボール」なのに、好打者・片岡がつられるように振った。振り切った。球速表示は何と155キロ。東京ドームがどよめいた。よくぞ投げ、よくぞ振った。当時担当として自主トレ、キャンプ、オープン戦と松坂をウォッチしてきたが、それでも驚かざるを得ない強烈さだった。
[時事通信] 東 幹夫 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー第2試合
【理由】ダブルヘッダー第2戦。優勝に向けすさまじい執念を発揮した近鉄の戦いぶり。時間切れ引き分けの残酷な結果も含め印象深い。
【2】1979年4月10日 阪神-読売 (甲子園)
江川との交換トレードで阪神に移籍した小林繁の巨人戦初登板
【理由】男の意地、気迫が小林の全身から噴き出し、長年のライバル球団関係という要素も加わって完全に球場を支配した。
[スポーツニッポン] 秋村 誠人 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】連勝でなければ優勝がないというダブルヘッダーで、2試合とも1点を争う好ゲーム。内容の濃い試合で野球の醍醐味が詰め込められていた。
【2】1959年6月25日 読売-阪神 (後楽園)
昭和天皇皇后両陛下が観戦した試合で、9回に読売・長嶋が阪神・村山から放ったサヨナラホームラン
【理由】日本プロ野球史上初めての天覧試合でミスターが放った劇的なサヨナラホームランは、それまで「職業野球」のイメージが残っていたプロ野球を大衆スポーツへ押し上げた。今ある日本プロ野球の繁栄をもたらせた史上最高の本塁打だから。
[スポーツニッポン] 甘利 陽一 氏
【1】1983年11月5日 西武-読売 (西武)日本シリーズ第6戦
【理由】このシリーズはサヨナラ3試合を含む逆転試合の連続。特に読売が王手をかけて迎えた第6戦はスリリングな展開で、9回に逆転の2点三塁打を放ち、三塁にヘッドスライディングした中畑の顔が今でも印象に残っている。読売は終盤に西本、江川を投入。その2人を攻略しての西武のサヨナラ勝ちは名勝負にふさわしかった。
【2】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
WBC決勝。延長10回2死二、三塁でイチローが林昌勇から決勝適時打
【理由】世間の注目度も高い試合で、不振だったイチローが最後においしいところを持っていった。前回大会の時の韓国に対するイチローの発言や、イチローを敬遠しなかった林昌勇について韓国内でも議論が沸き起こるなど、いろいろなドラマがあった。
[スポーツニッポン] 伊藤 幸男 氏
【1】1996年10月24日 オリックス-読売 (神戸)日本シリーズ第5戦
【理由】オリックスが日本一に輝いた第5戦、本西の飛球をめぐる仰木監督の猛抗議は、試合の流れを変えかねない場面でも信念を変えない意味で印象的だった。個人的には、そのインターバルに右翼イチロー、左翼田口の間で行った50メートル以上のキャッチボール。2人の投げるボールは正確かつ徐々に力強くなり、ラストはイチローが背面キャッチしてスタンドへ。三塁ベンチで見ていた読売ナインは呆然とするばかり。一発頼みの読売野球を見てきた私もショックを覚えた
【2】2008年11月9日 読売-埼玉西武 (東京ドーム)日本シリーズ第7戦
2─2の8回、死球で出塁した西武・片岡は盗塁と犠打で三塁へ。そして中島の三ゴロでギャンブルスタートを切り勝ち越し点をもぎ取ったシーン
【理由】試合が長引けば長引くほど不利が予想された渡辺監督が取った「イチかバチカ」の作戦。選手への信頼があって初めて成立するものと感動させられた
[スポーツニッポン] 落合 紳哉 氏
【1】1987年11月1日 西武-読売 (西武)日本シリーズ第6戦
【理由】日本シリーズ第6戦。西武は2回1死2塁、中飛で二走・清原がタッチアップして先制のホームイン。8回には2死1塁から秋山の中前単打で一走・辻が一挙生還。読売ベンチ、全国のファンがア然とする中、西武野球を発揮して3-1で快勝。2年連続日本一に輝いた
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
日本シリーズ第7戦、無死満塁、サヨナラのピンチを江夏が切り抜けて日本一を達成した9回裏のドラマ。山際淳司氏が「江夏の21球」として著し伝説となった
【理由】ピンチを迎え、広島ベンチが救援の準備をする際、江夏の心情を察した一塁の衣笠がマウンドに行き辞めるときは一緒だ、と激励したことにも感動した
[スポーツニッポン] 君島 圭介 氏
【1】1977年9月3日 読売-ヤクルト (後楽園)
【理由】王選手のホームラン世界新記録達成。子どもながら国中が1人の男の一挙手一投足に注目する異様な雰囲気に飲み込まれた。現代プロ野球の礎であり、私にとってもプロ野球観戦の原点となった試合。
【2】2000年4月9日 読売-ヤクルト (東京ドーム)
石井一投手がプロ9年目で初のサヨナラ負け。9回無死一、三塁から古田捕手に「勝負したい」と訴えたが、ベンチの指示で松井秀外野手を敬遠。無死満塁から鬼気迫る14球連続の直球勝負で2死までこぎつけるも、二岡内野手の当たりが不運なポテンヒットになり、敗れる。上原投手との初の投げ合いでもあった。
【理由】試合後、石井一投手に「エースとして松井と勝負させて欲しかった?」と聞くと「まだ4月。ベンチに逆らって抑えるより、ベンチの指示で負けた方がシーズンを考えればチームのためなんです」と答えた。野球人としての重い言葉に胸を打たれた。
[スポーツニッポン] 田村 智雄 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】試合前から球場全体を支配する異様な雰囲気は、単に「野球の試合」を越えていたと思います。勝ったチームが優勝という状況自体も、誰かが考えたストーリーみたいでした。
【2】1990年4月25日 日本ハム-近鉄 (東京ドーム)
日本ハム・柴田がノーヒットノーラン。
【理由】プロ野球記者として初めて見たノーヒットノーラン。故障を克服しての快挙だっただけに印象深い。当時はまだスコアブックの付け方が怪しかった。
[スポーツニッポン] 永瀬 郷太郎 氏
【1】1983年11月5日 西武-読売 (西武)日本シリーズ第6戦
【理由】読売3勝2敗で迎えた日本シリーズ第6戦。1点を追う読売は9回2死から走者2人を置いて中畑が右中間へ逆転三塁打。その裏、このシリーズ絶好調の西本を投入するも西武4連打で同点。延長10回、金森が江川からサヨナラヒットを放ち、西武が逆王手をかける。第7戦も西武が逆転勝ちし、日本一に。第3戦以降はすべて終盤の逆転劇で決着がついた死闘シリーズを象徴する試合
【2】1971年10月15日 読売-阪急 (後楽園)日本シリーズ第3戦
日本シリーズ第3戦。9回2死一、三塁。王が山田から逆転サヨナラ3ラン
【理由】マウンドでがっくりひざを着く山田。一振りで逆転がある野球というスポーツの醍醐味、残酷さが凝縮していた
[スポーツニッポン] 牧田 大一 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】国内の試合ではないのですが、連覇をかけた重圧の中で日本を代表する選手たちが見せた必死の形相。苦しんでいたイチローが最後に決めた試合。大会全般が球史に残ると思われるなか、それを締めくくるにふさわしい一戦だった。
【2】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー第2試合
勝てば近鉄が優勝の中で時間切れ引き分けに終わった試合。
【理由】近鉄選手がベンチで一喜一憂する姿。優勝がなくなったことが確定した後の虚無感が何とも言えず、深く心に刻まれた。
[スポーツニッポン] 中澤 智晴 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】勝った方が優勝の試合。もう説明はいらないでしょう。
【2】2001年9月24日 近鉄-オリックス (大阪ドーム)
近鉄が北川の代打逆転満塁優勝決定本塁打で優勝を決めた一つ前の試合
【理由】9回裏に近鉄・中村が西武・松坂から逆転サヨナラ2ランを放ち、マジックを1に。松坂のこん身の外角直球をライナーで右中間席まで飛ばした中村のフルスイングは見事。マウンドでがっくりと肩を落とす松坂と、打った瞬間にバンザイした中村の姿が印象的だった。ちなみにこの試合は5回にローズが松坂からプロ野球記録に並ぶ55号本塁打。ベンチに戻って号泣したローズの姿も感動的だった。
[スポーツニッポン] 東山 貴実 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー第2試合
【理由】ダブルヘッダー2試合目で引き分け。優勝がなくなった後も守備に就かなければならなかった近鉄ナインの無念の胸中、やりきれない表情が印象的。当時、「ニュースステーション」が番組内容を切り替え、同戦を放映していたのを思い出す。まさに「10・19の悲劇」で、12球団で唯一日本一を達成しないままチームが消滅した近鉄球団の悲運とも重なる。
【2】1999年6月12日 阪神-読売 (甲子園)
新庄が槙原の敬遠のボールを打ってサヨナラ安打。
【理由】まさに新庄劇場。漫画のような幕切れに笑うと同時に、新庄の奇想天外な集中力にあらためて驚かせた。今後、2度とないフィナーレだろう。
[スポーツニッポン] 内田 雅也 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】シーズン最終戦「勝った方が優勝」の大一番。重圧と緊張の場内の異様な空気は記者席にも十分伝わってきた。殺気立つほどの闘志は立浪のヘッドスライディングでの負傷、読売・落合の守備での負傷にも表れている。読売先発の槙原に襲いかかった中日は1、2回でほとんどストライク見逃しがなかった。松井の犠打(送りバント)や読売3本柱の継投は長嶋監督の執念が映る。一方の中日・高木監督は辞意を表明(後に球団の慰留により留任)したうえでの決戦という異常な状況だった。
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
初の日本一の夢が「江夏の21球」でついえた時の、敗軍の将、近鉄・西本幸雄監督の後ろ姿。
【理由】日本シリーズ第7戦。山際淳司『江夏の21球』で活写された9回裏の攻防はまさにプロの勝負だった。ハイライトは江夏豊のスクイズ外しだが、敗れた近鉄の果敢な姿勢が目に焼き付く。劣勢の最終回先頭で初球を安打した羽田、同じく二盗した藤瀬……。西本幸雄監督が決断したスクイズにもにじみ出る攻撃性があった。「悲運の闘将」と呼ばれる西本にとって最大の悲運だが、「わしは少しも後悔していない。幸せな野球人生だった」と語れるのは、最高の勝負を演じられた自負があったからだろう。(この日、わたしたち桐蔭高校野球部は、和歌山中時代の大先輩、西本幸雄氏の胴上げを見ようと、監督が午後の練習を取りやめ、部員全員が学校用務員室でテレビ観戦していました)
[スポーツニッポン] 鈴木 勝巳 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】それまで不振に苦しんでいたイチロー選手に、最後に最高の場面が回ってくるドラマのようなシナリオ。そこで結果を出したイチロー選手の凄さ。ダルビッシュが9回に同点にされたのも、すべて最後のシーンを盛り上げるための〝演出〟だったとしか思えません。〝持ってる男〟イチローに心底驚かされました。
【2】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
9回に最後の打者を抑えた桑田投手が、マウンド上でガッツポーズするシーン。
【理由】何度もテレビで繰り返しオンエアされている、10・8決戦を象徴するシーン。松井選手や落合選手のホームランもありましたが、槙原、斎藤、桑田の黄金リレーにはしびれました。
[中日スポーツ] 古居 宣寿 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】言わずと知れたDG決戦。重要性、盛り上がりなど何をとっても比類ない。三塁側スタンドから観戦するイチローをカバーしていたが、「優勝の瞬間は近くで見たい」ということで、一緒にネット裏に移動。長嶋監督の胴上げや選手の歓喜を、イチローが記者席の後ろから身を乗り出して見ていたのを思い出す。
【2】1999年5月16日 西武-オリックス (西武ドーム)
松坂対イチロー
【理由】イチローが松坂の挑戦を初めて受けた試合。第1、2打席はバックネットのすぐ裏でみたが、松坂のストレートは浮き上がるような感じ。イチローは三振を喫したが、ハイレベルの対決に心が躍ったに違いない。3つ目の三振は、最後にスライダーを空振り。この時、イチローがみせた何とも言えない笑顔が印象的。ヒーローインタビューで松坂が発した「自信が確信に」も秀逸だった。
[デイリースポーツ] 足利 渉 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】宿命のライバル・韓国に、決めるべき人=イチローの決勝打で勝った。1点を争う手に汗握る攻防は、昔から見慣れた高校野球のようで、日本らしい野球で勝てたと思う。当日は野球担当デスクとして号外や特別紙面の準備をしていて、仕事の上でも本当に勝ってよかった。
【2】2007年11月1日 中日-北海道日本ハム (ナゴヤドーム)日本シリーズ第5戦
日本シリーズで完全試合、しかも継投とは…。試合後に日本ハムナインがベンチで涙を流していたシーン。
【理由】当時、日本ハム担当していたが、衝撃的な終戦だった。試合後の表彰時に、日本ハムナインがベンチで涙していたのが忘れられない。プロ野球の世界でうれし泣きはよく見るが、何人もの選手、コーチが悔し泣きするのはあまり見たことがない。ヒルマン監督の最終戦でもあった。日本一が決まる一戦で完全試合、しかも継投とは、もう二度と見られないと思う。
[デイリースポーツ] 善積 健也 氏
【1】1973年8月30日 阪神-中日 (甲子園)
【理由】阪神・江夏豊が延長11回を無安打無得点。最後は自らのサヨナラ本塁打で決着をつけた。
【2】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発。
【理由】その後の「阪神フィーバー」はここから始まったと言えます。球史というよりも、日本民衆娯楽史に残るシーンだと思います。
[デイリースポーツ] 達野 淳司 氏
【1】1989年10月12日 西武-近鉄 (西武)
【理由】当時、受験生だったが、ダブルヘッダーに釘付けになった。ブライアントの2試合にまたがる4打席連発は「こんなことが起きたらすごいな」と思うその上をいっていた。あの興奮は忘れられない。
【2】1984年10月18日 阪急-広島東洋 (西宮)日本シリーズ第4戦
七回無死満塁のピンチを山田久志が切り抜けた場面。2死後、衣笠をストレート1本で空振り三振に斬ったシーンが忘れられない。当時130㌔そこそこのストレートしか投げれなかったサブマリンがその遅いストレートで絶頂期の衣笠に真っ向勝負を挑んだ。三振を取った後、マウンドを蹴ってベンチへと帰る姿にしびれた。
【理由】エースとは何かを教えてくれたシーンだった。
[デイリースポーツ] 若林 みどり 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】直接対決で優勝が決まる最終決戦。1戦にかける選手の緊張感が伝わり、スタンドで取材をしながらゾクゾクしたのを覚えている。
【2】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発
【理由】伝説のシーンと言っていいのではないか。広い甲子園の、しかもバックスクリーンへ、続けざまに3本のアーチがかけられたのは圧巻だった。
[デイリースポーツ] 玉森 正人 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】まさに国民的行事。試合前練習時からスタンドは異様なまでの盛り上がり。あの雰囲気は、ほかの試合で味わったことがないものだった。
【2】1999年6月12日 阪神-読売 (甲子園)
阪神・新庄が読売・槙原の敬遠珠を打って、サヨナラ勝ち
【理由】新庄を全国区にしたプレー。野村監督1年目で盛り上がった大阪は大興奮。
[東京中日スポーツ] 井上 洋一 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】やはりこの試合は避けて通れない。当時は大学生として見ていたが、最終130試合目で1年間のすべてが決まってしまうという一戦には、非常に興奮しました。いまだにビデオ持っています。
【2】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー第2試合
優勝が消滅した直後のベンチの表情や、それでも裏の守りのためにグラウンドへ行くナインの切ない姿
【理由】見ていてすごく胸の熱くなる試合だったから
[東京中日スポーツ] 川越 亮太 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】ロッテ対近鉄第25・26回戦のダブルヘッダー。「10.19」。当時は中学生でしたが、大阪のラジオ局の中継とテレビ朝日の中継にかじりつくようにして見た。優勝めざし攻めまくる近鉄とプライドにかけて守るロッテ。野球の醍醐味を感じたと共に、引き分けで優勝ができないという「大人の世界」の不条理性、一つのことに打ち込むことのすばらしさを中学生心に感じた。
【2】1989年10月12日 西武-近鉄 (西武)ダブルヘッダー第1試合
ダブルヘッダー第1試合の近鉄・ブライアントの3連発。特に、8回の渡辺久信から打った決勝のソロ本塁打。
【理由】お互いのプライドをかけた力と力のぶつかり合いを目撃することができたこと。また、本塁打の破壊力にすごみを感じたから。
[東京中日スポーツ] 谷野 哲郎 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】プロ野球史上初の同率での最終決戦。当時、読売担当として取材に当たっていたが、両チームの緊迫ムードは今までで最も迫力があった。読売の槙原、桑田、斎藤と3本柱をつぎ込む総決算的な試合展開にも驚かされた。長嶋監督が「国民的行事」と発言するなど、試合前から多いに盛り上げたことも記憶に残る。記者として、最も印象深い試合だった。
【2】2007年11月1日 中日-北海道日本ハム (ナゴヤドーム)日本シリーズ第5戦
8回まで山井がパーフェクトピッチング。9回も岩瀬が一人の走者も出さずに抑え、継投による完全試合を達成した。
【理由】日本シリーズで完全試合は継投とはいえ、初めてのこと。また、落合監督の采配も話題を呼んだ。記憶にも、記録にも残る名シーンだと思う。
[東京中日スポーツ] 鈴木 遍理 氏
【1】1978年10月22日 ヤクルト-阪急 (後楽園)
【理由】ヤクルト・大杉勝男の「疑惑の本塁打」をめぐり、阪急・上田監督がシリーズ史上最長記録となる1時間19分の執念の猛抗議。大杉はその後に正真正銘の本塁打も放ち、ヤクルトは初の日本一に輝いた。
【2】1968年9月18日 阪神-読売 (甲子園)
天王山で読売・王貞治が頭部に死球を受けて担架で退場すると、次打者・長嶋茂雄が本塁打。長嶋は王が倒れた直後、両軍の選手を制して乱闘を鎮めていた。
【理由】闘志をパンチではなくバットに乗り移らせた真のプロ魂に、日本中のファンが感動。劇画「巨人の星」でも取り上げられ、主人公・星飛雄馬が感涙した。まさに「スーパースター長嶋茂雄」を象徴するシーンだった。
[道新スポーツ] 報道部
【1】1994年5月18日 読売-広島東洋 (福岡ドーム)
【理由】槙原投手の完全試合。とにかく、快挙のひと言。九回二死で一塁ファウルフライが揚がった時は、「落合落とすな」とブラウン管の前で叫んでたいことを思い出す。あれから16年、槙原の前に完全試合を達成したのは今井(阪急)で、槙原達成まで16年かかっていた。今年が16年目となるが、21世紀初の完全試合を見てみたい。日本ハムの投手でだが…。
【2】2009年10月21日 北海道日本ハム-東北楽天 (札幌ドーム)クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦
9回一死から田中、森本、稲葉の3連打で1点を返し、高橋が四球。ここで打ったらまさに奇跡と思っていたら飛び出したスレッジの満塁弾。一種にして鳥肌が立った。これぞ究極につなぎの野球の結末
【理由】釣り銭なしの満塁弾。これ以上痛快なサヨナラ勝ちはない
[西日本新聞] 野口 智弘 氏
【1】1992年10月26日 ヤクルト-西武 (神宮)日本シリーズ第7戦
【理由】「野村-森」の名将同士による最初の日本シリーズ。延長戦が4試合、第4戦以降はすべて1点差というまれに見る熱戦が繰り広げられた。第7戦も岡林と石井丈の両エースが互いに譲らず延長10回を1人で投げ抜いたが、2対1で軍配は森西武に。岡林が悲壮感を漂わせながら力投する姿は感動的だった。名手飯田が石井丈の打球を背走してグラブに当てながらも、惜しくも届かず同点打にされたシーンも忘れられない。開幕前は圧倒的に有利と思われた常勝西武だったが、野村ID野球に苦しんだ。優勝した際はあのレオナインが涙をこぼして優勝を喜ぶほどの激闘だった。
【2】1994年5月1日 阪神-読売 (甲子園)
ロブ・ディアーが8回に槙原から放った左翼線への同点二塁打。
【理由】メジャー226発の鳴り物入りで阪神入りも、その時点で1割に満たない打率と驚異の三振率でファンを失望させていたディアー。同点打を放った瞬間、ファンの驚きと喜びで甲子園が揺れた。ディアーのホッとした顔も印象的。阪神暗黒期における虎ファンのうっぷんを晴らしたシーン。記者席の私も思わず涙した。しかし、試合は延長14回の末に敗れて読売戦3連敗。その夜、アイルトン・セナが事故死した速報も入り、気が重い1日だった。
[日刊スポーツ] 伊藤 友一 氏
【1】1989年10月12日 西武-近鉄 (西武)
【理由】ダブルヘッダーで近鉄ブライアントが4打数連続本塁打。第1試合は1人で満塁含む3発、全6点をたたき出す。神懸かりの打撃で常勝西武のV5を阻止し、チームを優勝へ
【2】1987年8月9日 中日-読売 (ナゴヤ)
高卒新人の中日近藤がデビュー戦でノーヒットノーラン達成
【理由】初登板の18歳の近藤が首位読売から13三振を奪いノーヒット。これ以上の偉業はない
[日刊スポーツ] 今西 和弘 氏
【1】2003年9月15日 阪神-広島東洋 (甲子園)
【理由】長らく低迷していた阪神の優勝試合。東京に育ちながら阪神ファンとなった2人の子は少年時代がそのまま阪神暗黒時代。さぞ悲しかったろう。この日、たまたま仕事を早く終えて帰宅、子どもたちと一緒に優勝シーンを見た。肩を抱き合って涙する子どもたち。さもあろう。恥ずかしながらこっちも目頭が熱くなった。本当はこの夜、ヤクルトが負けての待機優勝だったのだけれど、まあよろし。「最高」の名にふさわしい試合は他にもあるだろうが、子どもたちの涙に軍配!
【2】1969年8月1日 阪神-読売 (甲子園)
この試合の長嶋茂雄の第1打席で村山実が通算2000個目の奪三振を記録
【理由】天覧試合で長嶋茂雄にサヨナラホームランを喫した村山は、1500個目、2000個目の三振を長嶋から奪うと公言。その言葉に偽りなく、66年6月8日の1500個目に続き2000個目を奪った。今ほど多くなかった阪神ファンは「これぞ男の心意気」と喜んだ。名投手VS名選手の代表的勝負として。
[日刊スポーツ] 井元 秀治 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】 伝説となったダブルヘッダー。「じゅってんいちきゅう」という試合日の呼び方が一般的になったのは、これがきっかけ。「あの」川崎に観衆があふれる環境に、見どころ満載の内容(牛島-現役最終打席の梨田の全直球勝負、高沢-阿波野のスライダー読みあい、有藤監督の抗議-時間…)。また、この日阪急身売りが明らかになるなど、リーグの激動の時代を象徴する1日でもあった。
【2】1993年6月9日 読売-ヤクルト (金沢)
伊藤智のリーグ新記録17奪三振がかかった9回2死で篠塚がサヨナラ本塁打。
【理由】前日、富山での大乱闘の空気を引きずった中での緊張感ある試合という、まさにドラマだった。防御率0点台の伊藤智は、この試合を境に…。
[日刊スポーツ] 岩間 俊一 氏
【1】1983年11月5日 西武-読売 (西武)日本シリーズ第6戦
【理由】王手をかけていた読売が9回表に勝ち越し、その裏西本を投入するも、西武が同点に。10回に金森が江川からサヨナラ安打で逆王手。球史に残る名勝負と呼ばれるシリーズの中で、胴上げに勝負をかけた読売の、両エースによる必殺リレーを崩し、第7戦での逆転日本一につなげたから。
【2】1982年9月28日 中日-読売 (ナゴヤ)
優勝争いの天王山初戦。読売が原の先制本塁打などで6対2とし迎えた9回裏、中日が江川から長短5安打など同点とし、延長戦で大島が角からサヨナラ安打。
【理由】全盛期で難攻不落だった怪物江川に、土壇場で神がかり的な集中攻撃をかけ攻略。8年ぶりのリーグ優勝への流れ引き寄せた。
[日刊スポーツ] 内山 泰志 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】ロッテー近鉄第25、26回戦(ダブルヘッダー)。2試合で合計7時間33分の激闘。「10・19の悲劇」とも称され、日本プロ野球史上最もドラマチックな試合。2試合目は4時間を経過して次のイニングには入らないの規定があり、8回に同点とされた近鉄は延長10回表無得点に終わり、その時点で優勝はなくなった。10回裏涙をこらえながら守備についた近鉄選手へのファンの温かい拍手は感動的だった。西武球場の大スクリーンに映し出される試合の模様を祈る気持ちで見つめていた西武ナインの顔も奇跡を目の当たりにしたような表情だった。
【2】1987年11月1日 西武-読売 (西武)日本シリーズ第6戦
西武が日本一を決めた日本シリーズ第6戦。1点リードの8回、中前安打で一塁から本塁を陥れた辻選手のスーパー走塁。中堅手クロマティの緩慢な送球と中継に入った遊撃手川相のクセを見抜いての頭脳的走塁だった。ヒットエンドランもかかっていないのに、余裕をもってホームイン。西武に日本一をもたらした。
【理由】これぞ頭脳プレーという鮮やかな走塁だった。中堅手クロマティの緩慢な送球と中継に入った遊撃手川相のクセを見抜き、日本シリーズという大舞台で読売ファンを?然とさせたビッグプレー。ヒットエンドランもかかっていないのに、余裕をもってホームを陥れた瞬間の驚き。西武の日本一を決めた辻の走塁は、今も目に焼きついている。
[日刊スポーツ] 大塚 仁 氏
【1】1989年10月21~29日近鉄-読売 (藤井寺、東京ドーム)日本シリーズ
【理由】日本シリーズ。短期決戦の醍醐味が存分に味わえた7試合。第5戦で原の復活満塁本塁打、第7戦で中畑の現役最終本塁打など劇的な場面も多く、お立ち台での発言など場外シーンも楽しめた。高校生だった自分も含め、人々を野球というものに釘付けにした
【2】1997年4月6日 読売-ヤクルト (東京ドーム)
巨人桑田真澄投手が右ひじ手術からの復帰登板で勝利
【理由】右ひじを投球板につけた登板直前の儀式から、読売移籍後初アーチで盟友の復帰を祝った清原とのお立ち台まで、随所にドラマが詰まった印象的な試合だった
[日刊スポーツ] 織田 健途 氏
【1】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
【理由】バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発。甲子園の読売戦で3者連発はこの1度しかない(2010年9月17日現在)。3本打たれた槙原を含めて役者がそろい、全部バックスクリーンという絵に描いたようなドラマ性があった。
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
日本シリーズ第7戦の9回裏、1点リードの広島は江夏が無死満塁の大ピンチを抑え優勝。「江夏の21球」。
【理由】江夏が踏ん張り、西本監督(近鉄)悲願の日本一を阻止。最後の攻防、駆け引きには思わず引きずり込まれた。
[日刊スポーツ] 金子 航 氏
【1】2001年9月26日 大阪近鉄-オリックス (大阪ドーム)
【理由】北川がプロ野球史上初めて代打逆転満塁本塁打でリーグ優勝を決める。
【2】2004年8月17日 読売-ヤクルト (東京ドーム)
巨人工藤が、史上23人目の200勝を決めた試合で、プロ初の本塁打を放った。
【理由】200勝だけでも劇的なのに、さらに初本塁打。一塁ベースを回った工藤選手が、飛び上がってガッツポーズした姿があまりにも衝撃的かつ印象に残っている。
[日刊スポーツ] 斎藤 直樹 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】「10・19」と日付で呼ばれるゲーム。ラジオで聴いていたが、途中からテレビ中継が始まり、羽田のゲッツーで近鉄の勝ちがなくなった瞬間は、何とも言えない気持ちになった。その後、新聞や雑誌、テレビ番組でこの試合を振り返る企画が何度もあったことで、余計に印象に残っている。
【2】1991年4月6日 横浜大洋-阪神 (横浜)
大洋レイノルズが5回、二盗をした後に「左飛」で三塁へタッチアップに成功。とてつもないスピード感だった。
【理由】過去に打撃で魅せた現役メジャーは数多くいたが、走塁で魅せる選手は初めて見たので、強烈な印象が残っている。過去の伝説として読んだ与那嶺やスペンサーが来日した時も、ファンはこのような印象を受けたのだろうか、と想像した。試合前の練習で右翼から三塁、本塁への送球で強肩を何度も見せていたことも、強い印象を残している。
[日刊スポーツ] 田 誠 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】この日、個人的にも激動の一日だった。神宮球場で阪急の身売りを聞き、浜松町にあったオリックス本社へ直行。宮内社長をインタビューし、会社に戻ったところで、テレ朝の中継で「10・19」を見ていた。その頃、西武ナインは西武球場に集合していた。今でも光景が蘇る。翌年、近鉄はブライアントの4連発などで見事優勝。ストーリーが2年越しだった
【2】1988年4月27日 ヤクルト-読売 (神宮)
長島一茂がプロ8打席目で初アーチを放った試合。6回に代打で登場。読売・ガリクソンの速球をフルスイングして、プロ1号を刻んだ
【理由】打球が外野で弾み、カーンと響いた金属音が記者席にも届いた。今でも忘れられないシーンと音。この半年前、まだ立教大4年生だった一茂を取材で追いかけ回していた。同じ神宮球場で、この夜はプロとして本塁打を放ち、不思議な気持ちになった
[日刊スポーツ] 竹内 智信 氏
【1】2001年9月26日 大阪近鉄-オリックス (大阪ドーム)
【理由】近鉄北川の代打サヨナラ優勝決定満塁本塁打で決まった試合。
【2】2004年9月23日 中日-ヤクルト (ナゴヤドーム)
ストライキの回避を決めたヤクルト古田が、交渉の席からかけつけて9回に代打で左前打。
【理由】中日ファンからも送られた古田への声援に、プロ野球を愛する人たちの思いを感じた。
[日刊スポーツ] 鳥谷越 直子 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】ロッテ対近鉄第25・26回戦(ダブルヘッダー)。「10.19の悲劇」とも称され、日本プロ野球史上最もドラマチックな試合。それまで両球団に興味がなかったが、一気にファンになるほど衝撃的だった。
【2】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
バックスクリーン3連発
【理由】時代を超えて語り継がれる名シーンだから
[日刊スポーツ] 西尾 雅治 氏
【1】2001年9月26日 大阪近鉄-オリックス (大阪ドーム)
【理由】12年ぶりリーグ優勝を劇的に決めた近鉄北川の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン。担当記者として、それまでの記者経験で最も興奮し、パニックになった試合。予想を超える優勝シーンに 頭が真っ白になり、その後の取材、出稿はまるで夢の中のようにフワフワしていた。熱パを制した「いてまえ打線」を象徴する最高のシーンだった。
【2】1999年10月7日 近鉄-千葉ロッテ (藤井寺)
脳腫瘍から奇跡の復活を果たした近鉄盛田幸妃投手が、392日ぶりに1軍マウンドに上がったシーン
【理由】盛田投手は同い年でもあり、リハビリの過程から取材してきた。生命の危機を乗り越えた不屈の闘志に胸打たれた
[日刊スポーツ] 福田 豊 氏
【1】1987年8月9日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】中日のルーキー、近藤真一投手が初登板で読売を相手にノーヒットノーランを達成。当時読売担当でしたが18歳の見事な投球にあっぱれ。最期の打者、篠塚選手が三振したシーンは今でも鮮明に覚えています。
【2】1999年5月16日 西武-オリックス (西武ドーム)
ルーキーの松坂投手がイチロー選手と 初対決。3三振を奪った試合。
【理由】当日は当番デスクでもちろん1面選択。デーゲームだったのですが深夜11時までかけて紙面をつくったのが思い出。「自信が確信に変わった」という松坂投手のコメントも印象に残りました。
[日刊スポーツ] 町田 達彦 氏
【1】2008年10月20日 阪神-中日 (京セラドーム)クライマックスシリーズ第1ステージ第3戦
【理由】クライマックスシリーズ第1ステージ第3戦。両軍無得点の9回表。敗れれば恩師岡田監督がユニホームを脱ぐことになる局面で阪神藤川が選んだのはストレート。中日4番ウッズもフルスイングで応じ、5階席に届こうかという特大2ランで決着。岡田監督は号泣しながら「最後に打たれたのがお前でよかった」と藤川と抱擁した。ドラマと生き様がつまったシーンだった
【2】1998年9月1日 阪神-ヤクルト (甲子園)
7回に阪神新庄が5号ソロ
【理由】前日8月31日に渡辺省三スカウトが急死、甲子園近くの自宅で仮通夜が行われ、半旗が掲げられた試合で、プロへ導いてくれた恩人に捧げる1発を放った。普段は明るい新庄が「何とか勝ちたかった、今日だけは」と唇をかみしめた
[日刊スポーツ] 松井 周治 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】時間切れ引き分けの非情さが印象に残った。スポーツにはルールがあり、時にはそれが非情なものになる。スポーツをやっていなくても、どんな人生でも、非情さや理不尽さ、挫折などは誰もが経験するもの。優勝がなくなっても守備に入る近鉄選手の無念さは、どんなときでもルールにのっとる教訓を教えているようでもあった。
【2】2005年7月15日 福岡ソフトバンク-西武 (ヤフードーム)
ソフトバンク松中が西武松坂から1試合3本塁打。松坂は最後まで直球勝負を挑み、松中が最後はサヨナラアーチ
【理由】04年に3冠王をとった松中と西武松坂との名勝負。最後まで直球勝負にこだわった2人にプロの意地をみた
[日刊スポーツ] 三浦 基裕 氏
【1】1983年11月5日 西武-読売 (西武)日本シリーズ第6戦
【理由】藤田巨人VS広岡西武。「新旧盟主争い」と謳われた日本シリーズ第6戦。3-3で迎えた10回裏、王手を置かけられていた西武は、左太ももの故障を押してリリーフ登板した読売のエース江川から金森が左越えにサヨナラヒットで逆王手をかけた。第7戦も西武か勝ち日本一となttが、7戦中、実に3試合がサヨナラ決着という白熱の短期決戦だった。
【2】1979年11月4日 近鉄-広島東洋 (大阪)日本シリーズ第7戦
3勝3敗で迎えた日本シリーズ第7戦。悲願の日本一を目指す近鉄は1点を追う9回裏、無死満塁の逆転サヨナラ機を迎えたが、広島の守護神・江夏は平野を三振、続く石渡の打席では咄嗟の判断でカーブの握りのまま、ウェストしてスクイズを外すなど無失点に切り抜けて日本一に輝いた。
【理由】絶対絶命の大ピンチを切り抜けた投球は「江夏の21球」伝説として今も語り継がれている。
[日刊スポーツ] 宮下 敬至 氏
【1】2007年12月3日 日本-韓国 (洲際球場(台湾))アジア野球選手権
【理由】メンバー交換後、韓国が大幅なメンバー変更。1点リードされた7回無死一、二塁、代走のヤクルト・宮本が好走塁で三進。無死満塁で決めたロッテ・サブローのスクイズ。そこからせきを切ったようにつながった連打。負けられない国際試合で、培ってきた日本野球のひな型を余すところなく披露し、ライバルを圧倒した。
【2】1999年10月5日 ヤクルト-読売 (神宮)
ヤクルト・ペタジーニを敬遠した巨人上原がマウンドで土を蹴り上げ、涙を流した場面
【理由】ペタジーニは読売・松井と本塁打王を激しく争っており、先発上原は長嶋監督の指示に一度背いたが、再び指示が出て、敬遠し泣いた。「力勝負こそプロ、の信条に背くことが悔しかった。直後にタイトル争いについての議論は立ったがその後放置されたまま。看過するから問題は起こる」と上原本人から指摘を受けた。彼の真摯(しんし)な指摘を無にしないためにも「名勝負・名シーン」として挙げたい。
[日本経済新聞] 合六 謙二 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー
【理由】ロッテ対近鉄、25・26回戦のダブルヘッダー。2位の近鉄が2連勝すれば、全日程を終えていた西武を抜いてパ・リーグ優勝するという局面。土壇場で近鉄が逆転勝ちした第1試合、延長にもつれこむも無念の引き分けに終わった第2試合ともに、この上なく内容が濃密で、先が見えない展開はしびれさせた。普段は閑古鳥が鳴く川崎球場は超満員、球場に隣接するマンションにまで観客があふれ出す異様な雰囲気も、後に「10・19」の名で語られる歴史的好試合ならではだった。
【2】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー第1試合
引き分けでは優勝に手が届かないダブルヘッダーの第1試合、3―3の九回2死二塁から代打・梨田が中前に放った決勝の適時打
【理由】この回、1死二塁から鈴木の右前打で本塁を狙った代走・佐藤が三本間で挟まれて痛恨のアウト。2死と追い詰められた近鉄ベンチには「もはやこれまでか」という空気が漂っていた。その窮地から、この年限りでの引退を決めていた梨田が内角高めの球に詰まりながらも中前へ安打。二塁に進んでいた鈴木がタイミングはアウトながら、捕手のタッチをかいくぐって決勝の生還を果たした。土壇場でチームを救ったベテランの殊勲打は、中西コーチが鈴木に抱きつき、勢い余って倒れながら喜んだシーンとともに、深く脳裏に刻まれている。
[日本経済新聞] 島田 健 氏
【1】1988年10月19日 ロッテ-近鉄 (川崎)ダブルヘッダー第2試合
【理由】ダブルヘッダー第2試合。勝てば優勝の近鉄の必死さと、目の前での胴上げを阻止したいロッテナインの意地がぶつかる。ロッテ側の抗議などで、時間切れ、引き分けに近鉄の悲運さも象徴された。
【2】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
阪神のバース、掛布、岡田がバックスクリーンへ3連続本塁打。
【理由】1985年の強かった阪神を象徴する最高の場面。阪神ファンならずとも記憶に残っている。
[報知新聞] 阿部 大和 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】勝利チームが優勝という最終戦での直接対決
【2】1989年6月4日 広島東洋-横浜大洋 (秋田八橋)
小学生の頃に父親と一緒に観戦した試合で、初回裏に広島の高橋慶彦、正田耕三、ロードンの1~3番が初回先頭打者から3者連続本塁打。
【理由】生で見ることが滅多にできなかったプロ野球選手の力強さに心奪われました。ちなみに89年の正田は本塁打がその試合での1本だけ。当時プロ野球3度目という初回先頭打者からの3連発を秋田で観戦できたことが、印象に残っています。
[報知新聞] 佐々木 良機 氏
【1】2001年10月6日 横浜-ヤクルト (横浜)
【理由】読売・長嶋監督が勇退されるシーズンに、ヤクルトが最後、足踏みに足踏みを重ね、その間、米ニューヨークでのテロなどもあって、野球の話題も吹っ飛びそうになるなかで、M1のまま何日も足踏み続け、若松監督自身が「ここまで来て、優勝できないかもしれない」と深刻に思うほどのなか、なんとか最後、倒れ込むようにVのテープを切った。この試合も、苦しみ、8回にペタジーニの同点3ランで延長に持ち込み、若松ヤクルト3年目の優勝を果たした。古田は右足後十字靱帯断裂の負傷をおいながら強行出場を続け、最後に涙を見せるなど、ドラマもあった。
【2】1992年7月5日 ヤクルト-読売 (神宮)
2点ビハインドの9回1死走者なし。3番・岡崎が敬遠され、打席に入った4番・原が起死回生の同点弾を伊東昭光から放ち、神宮の夜空に向かって鬼の形相でバットを放り投げた試合。
【理由】この年、原は「ガラスの4番」などと勝負弱さを指摘され、苦しんでいたなか、目の前で敬遠されて打席に入った4番が、どうだ見たか、と言わんばかりにリベンジを果たし、さわやかイメージだった原が、初めて怒りの感情を思い切って解き放った瞬間には、リアルタイムで観た者として、本当に鳥肌が立った。
[報知新聞] 佐藤 智寿 氏
【1】1976年11月1日 読売-阪急 (後楽園)日本シリーズ第6戦
【理由】日本シリーズ第6戦。5回表まで0対7とリードされていた巨人がリリーフ・小林の5イニングをパーフェクトに抑える投球。淡口、柴田の一発などで追いつき、延長10回に高田の右前安打でサヨナラ勝ち。逆王手をかける。 
【2】1971年5月18日 読売-ヤクルト (富山県営)
8回まで1対4と劣勢だったヤクルトが9回表、武上のソロ本塁打、宮原の中犠飛で1点差。ここでこの日登板のなかった投手・外山義明が代打に起用され、山内新一から起死回生の逆転2ラン。【理由】
[報知新聞] 鈴木 憲夫 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】言わずとしれた最終戦同率決戦。いまさらと言われようが、その日、ナゴヤ球場の記者席にいた身としては、外すわけにはいかない。前日の巨人宿舎の緊張感から、本当に死んでもいいと思っていたに違いない中日・立浪のダイブ、巨人・斎藤の力投などなど、すべてが規格外の重さを持っていた。
【2】1968年9月18日 阪神-読売 (甲子園)
バッキー・荒川の乱闘事件として有名すぎるぐらいの試合。だが、田舎でテレビにかじりついていた野球ファンの少年にとっては、乱闘そのものよりも、その後の長嶋さんの本塁打がカッコ良かった。阪神・権藤の死球を頭に食らって担架で運ばれる王選手の、暗く、沈痛なシーンとの対比で、ミスターが神様のように見えたのを鮮明に覚えている。【理由】
[報知新聞] 蛭間 豊章 氏
【1】1976年11月2日 読売-阪急 (後楽園)日本シリーズ第7戦
【理由】日本シリーズ最終戦。第6戦で7点差を逆転勝ちした巨人が有利と見られた最終戦。足立の熱投で阪急6度目の挑戦で初めて読売を破っての日本一
【2】1974年7月22日 (西宮)オールスター
オールスター第2戦。5回1死一、二塁から全セ田淵の放った左中間大飛球を、全パ福本がフェンスをよじ登って掴んだ大ファインプレー
【理由】名手・福本を象徴するプレー。オールスターでも気を抜かない当時の全パの心意気を見せた
[毎日新聞] 鈴木 篤志 氏
【1】1998年10月8日 阪神-横浜 (甲子園)
【理由】横浜38年ぶりの優勝。ハマっ子の私が2歳の時以来。これで当分優勝はないなあ、と思ったがやっぱり……。
【2】1974年10月14日 読売-中日 (後楽園)
長嶋選手の引退試合
【理由】学校をさぼってデーゲームをテレビで見た。ひとつの時代が終わったとしみじみ感じた。
[毎日新聞] 立松 敏幸 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】一野球ファンとして固唾をのんで見守った試合でした。今は仕事でプロ野球に携わる立場なので、シーズンがこんな展開になったら大変ですが、野球ファンとしては最終戦で決着がつくという劇的な展開をまた見てみたいと思います。
【2】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
バックスクリーン3連発
【理由】まるで漫画のような3連発。すごい!の一言です。
[読売新聞] 斎藤 明徳 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】WBC2連覇の偉業で日本の力を示すだけでなく、一度は追いつかれながら、最後に決めるべき人が決めた試合展開もドラマチックだった。
【2】1977年9月3日 読売-ヤクルト (後楽園)
巨人・王選手が通算756号を放ち、ハンク・アーロン氏の持つ世界記録を更新。
【理由】王選手が世界のホームラン王になった瞬間。国民栄誉賞が贈られるなど、世間を熱狂させた。
[読売新聞] 千葉 直樹 氏
【1】1985年4月17日 阪神-読売 (甲子園)
【理由】バックスクリーン3連発。もう1回やれと言われてもできない離れ業。槙原投手も真っ向勝負。力と力のぶつかった好勝負だった。
【2】1993年6月9日 読売-ヤクルト (金沢)
伊藤智投手、16奪三振。篠塚選手のサヨナラホームラン。
【理由】プロ野球担当1年目で鮮烈な印象を植え付けられた試合でした。
[読売新聞] 新妻 千秋 氏
【1】1994年10月8日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】「国民的行事」の中、試合内容はともかく単に「勝つ」ことだけが求められた試合。 両チーム全員が緊張し、興奮していた。この年、読売は宿敵西武を破り、日本一になるが、多くの選手から「あの10・8に比べたら」という言葉を聞いた。
【2】1981年9月16日 阪急-ロッテ (西宮)
阪急・山森の超ファインプレー
【理由】「阪急」「西宮球場」「好プレー珍プレー」「ラッキーゾーン」。古きよき郷愁とともに、オールドファンをいまだにうならせ、シーンが目に浮かんでくるベストプレー。
[読売新聞] 宮崎 薫 氏
【1】2009年3月23日 韓国-日本 (Dodger Stadium)WBC決勝戦
【理由】WBC日本2連覇。10回2死二、三塁から、イチロー選手がセンター前にヒットを打った時。
【2】2010年4月24日 読売-広島東洋 (東京ドーム)
谷佳知選手が代打逆転満塁本塁打
【理由】故・木村拓也コーチの追悼試合で、親友の谷選手が涙のお立ち台
[共同通信社] 倉見 徹 氏
【1】2006年3月18日 日本-韓国 (PETCO Park)WBC準決勝
【理由】WBC準決勝。1、2次リーグでいずれも敗れ、特に2次リーグではマウンドに太極旗を立てられる屈辱を味わった韓国と三たび対戦。王監督は、右肩痛による不振で先発メンバーから外した福留を勝負どころの代打で起用することを約束。その福留が七回に先制2ランを放って期待に応えた。国際経験豊かの上原も7回を3安打無失点の踏ん張りが打線に火を付け、雪辱を果たした。
【2】1999年9月25日 福岡ダイエー-日本ハム (福岡ドーム)
王監督がダイエーとして初優勝を導いた試合。我が子のように選手を見守る優しい笑顔で歓喜の瞬間を待つ姿が印象的だった。
【理由】「都落ち」とも言われた福岡に根付いて5年。低迷期には心ないファンから「辞めろ」とのやじと横断幕を掲げられ、卵も投げ付けられた。それでも野球と選手に情熱を注ぎ、契約最終年で悲願を成し遂げた。
[中日スポーツ] 中村 浩樹 氏
【1】1983年9月28日 中日-読売 (ナゴヤ)
【理由】中日が4点を追う9回、完投勝利目前だった読売・江川から5安打に犠飛を絡めて追いつき、延長でサヨナラ勝ち。2位ながら残り試合が多い関係で優勝マジック12が点灯。4点差逆転は珍しくはないが、相手が2年連続20勝へ突き進んでいた球界随一のエースで、しかも土壇場9回に一挙4点。優勝へのターニングポイントになったという点で、球史に残る逆転劇といえる。
【2】2006年9月16日 中日-阪神 (ナゴヤドーム)
中日・山本昌と阪神打線
【理由】首位・中日と2位・阪神の直接対決で、山本昌が41歳1カ月の史上最年長でノーヒットノーランを達成。最後の打者はこの試合で唯一、三ゴロ失で塁に出ていた赤星。バントヒット狙いなどでノーヒット阻止を試みる手もあったと思うが、それをせずお互いが真っ向勝負(結果は三ゴロ)。優勝争いの終盤という状況も含めて、同じノーヒットノーランでも深みがあると思う
[東京新聞] 堤 誠人 氏
【1】1959年6月25日 読売-阪神 (後楽園)
【理由】天皇陛下がご観戦された試合で読売・長嶋茂雄がサヨナラ本塁打。プロ野球が国民に認知された試合だと思います。
【2】1977年9月3日 読売-ヤクルト (後楽園)
巨人・王貞治がハンク・アーロンの記録を更新する通算756号本塁打。
【理由】カウントダウンに入ってから連日、日本国中の注目を集めました。達成した日が私の誕生日でもありますので。
[東京新聞] 牧田 幸夫 氏
【1】2000年9月24日 読売-中日 (東京ドーム)
【理由】優勝持ち越しが濃厚な9回4点差からの逆転サヨナラ勝ちで劇的な優勝。
【2】2001年9月26日 近鉄-オリックス (大阪ドーム)
近鉄・北川の代打逆転満塁サヨナラホームランで優勝決定
【理由】日本球界初の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定ホームラン。今後もあるかどうかの貴重な場面だから。